「マリオは子供っぽいからやらなくなった。」
「国産ゲームはつまらない、やっぱ洋ゲーでしょ!」
「ハァ?モシモシゲーかよ・・・」
「あのゲーム会社は嫌い」
「FPS以外は認めない!」
子供の頃は純粋にゲームを楽しんでいたのに、いつしかこのような好き嫌いが生まれ、次第にそれが偏見に繋がり特定のゲームしかやらなくなる。ゲーマーならこのような経験があるんじゃないでしょうか?
私はこれを
ゲーム反抗期
と呼んでいます。(さっき思いつきました てへぺろ)
暇なので今回はこのゲーム反抗期について掘り下げていきます!
Contents
一般的な反抗期
皆さんは反抗期ってありましたか?
母親と買い物に行くのが恥ずかしくなったり。
あるいは少し悪ぶってしまったり。
出典:bokete
形は違えど多くの方が人生において反抗期というものを経験しているのではないでしょうか。
そして成人したタイミング、社会人になったタイミング、あるいは結婚や出産のタイミングなどで親のありがたみに気付き、敬う気持ちと反省を素直に表現できるようになった時、ようやく長い反抗期を終えるのです。
本当の意味で人生が豊かになるのは反抗期を終えてからかもしれません。
ゲームにおける反抗期とは!?
概要 〜わたしの場合〜
人生における反抗期と同じようなことが「ゲーム」にも起こります。↓は私のゲーム史です。
わたしの場合、小学生の頃がスーパーファミコン全盛期だったのでこのような年表になります。人によっては小学生の頃に64だったりゲームキューブだったりするかもしれませんが、子供の頃は任天堂ハードで遊んでいた方は多いんじゃないでしょうか。
A.助走期 〜ゲームとの出会い〜
小学生くらいにゲームと出会う方が多いのではないでしょうか。誕生日に買ってもらったり、サンタさんに貰ったり。いずれにしてもマリオ、ドラえもん、ドラゴンボールなど子供向けのゲームをプレイしているはずです。
この頃はただ純粋にゲームを楽しみます。
小学校低学年の頃は国語力に乏しいため、テキストが少なく操作が簡単なアクションゲームをやることが多いかもしれません。時代によって作品は違えど、誰もがマリオになってテレビの中を駆け回ることになります。
出典:ゲームカタログ
しかし小学校高学年になると、すこし背伸びをしてストーリー性のあるRPGに興味を持ち始めます。(ファイナルファンタジー、ドラゴンクエスト、テイルズなどなど)
キャラクターなどのグラフィック面でもカワイイからカッコイイを求めるようになり、ゲーマーとして少しづつ大人になっていくのです。
B.第1反抗期 〜急にマリオをディスりだす〜
ストーリー性のあるRPGを経験すると、今までにやってきた頭の使わないアクションゲームが急に子供じみて感じ始めます。
「マリオは子供。FFは大人。」
母親と一緒に買い物に行くのが恥ずかしくなるリアル反抗期とリンクするように、急にマリオのような子供向けのゲームをプレイしていることが恥ずかしくなってしまうのです。
更にマリオ=任天堂=子供向けという式を勝手に組み上げてしまうのです。
同時期に、第二のゲーム機を入手する機会が出てきます。入学祝いであったり、あるいは卒業祝いであったり、誕生日であったり。
この時私はスーパーファミコンの後継機であるNintendo64ではなく、「ソニーのプレイステーション」を選んだのです。
マリオ、そして任天堂との別れです。(この別れから再会まで、まさか20年を要することになるとは・・・)
出典:URD速報
ここからが長いゲーム反抗期の始まりです。
この頃からゲーム雑誌やレビューサイトを読み漁り、自分に合ったゲームをとことん追求し始めます。
C.第2反抗期 〜スマホゲーを受け入れない〜
携帯、スマホゲーはゲームとして認めない。
好きだったシリーズがスマホでリリースされると知って激怒。
なぜか
家庭用ゲーム=本格的なゲーム
スマホゲー=ミニゲームレベル
と思い込みます。
また、反抗を通り越して闇落ちしそうになるのがこの時期です。
長い反抗期の中で偏った価値観が確立されつつあり、やってもいないのに「あれはきっとクソゲーだ」「あんなゲームをやっているようじゃライトゲーマー。ゲームを愛しているとはいえない。」といったように同じゲーマーでさえ否定するようなクズゲーマーになっていくのです。
また、この時期には第1反抗期で崇拝していたはずのドラクエやFFといったメジャーなRPGを「ライトゲーマーがやるもの」といって排除してしまう危険な症状が出る人も多いようです。(幸い私はこの症状は出ませんでした。)
他にも、洋ゲー、PCゲー、FPSなどそれぞれを至上主義として掲げるなど、同じ第2反抗期でも様々な形態に派生していきます。
D.悟り期(反抗期の終わり) 〜面白ければなんでもいい〜
ゲーム反抗期の間にレビューサイトを読み漁ることになりますが、誰もが推薦するような作品は次第にやり尽くしてしまいます。自分で発掘するしかない状況になるのです。
次第にレビューが少ないゲームや、賛否両論のゲームに触れる機会が多くなります。周りの意見が気にならなくなり、良い意味で前向きにゲームを探すようになっていきます。
やがて自分の嫌いなゲームを好きな人、あるいは自分の好きなゲームを嫌いな人とも建設的な意見交換ができるようになり、ゲームだけでなく人をも愛することができるようになるのです。
これがゲーマーとして悟りを開くということです。
長かったゲーム反抗期の終わりです。
ゲーム反抗期を終えて
悟りを開いたことにより様々なゲームをゲームとして受け入れられるようになった私は、ふとこう思いました。
「もう一度マリオに会いたい・・・」
偏見という名の檻に囚われ、私から一方的に別れを告げてしまったマリオ。あの頃にはなかったAmazonという召喚器を使ってマリオを呼び出すことにしたのです。
約20年ぶりに再会したマリオは大分ふっくらし「ヘウィゴー」といったよくわからない言語を習得していましたが、長い歳月を経て私も色んなところから毛が生えていたりかなり老けてしまっていたのでお互いその変貌ぶりには触れずにゲームを始めました。
出典:リアルETの英語学習
すると・・・
面白い!
あの頃と同じようにゲーム画面いっぱいに走り回るマリオ。
いや、むしろコントローラーを通じて感じる一体感はあの頃以上。
マリオ、いや、マリオさんは任天堂と共に成長していたのです。「こんな風に動き回れたら気持ち良いだろうな」と思わせるような軽快なアクション。至る所に楽しませる要素が盛り込まれている。
偏った価値観や偏見でこんなに面白いゲームを敬遠していたなんて・・・。マリオだけではない。多分ヨッシーやカービィだってめちゃくちゃ面白いはずなんだ。
私は自分のことをゲーマーだと思い、ゲームを愛していると思っていたが、そうではなかったのです。
終わりに
長いゲーム反抗期を終え、最近では「面白ければなんでもいい」という良い意味でこだわりのないゲーマーになってきました。
あらゆるゲームを面白く感じるようになったという意味ではないです。面白いものは面白い、つまらないものはつまらないことには変わりはないです。
ただ、食わず嫌いがなくなり挑戦することができるようになったことで、埋もれていた面白いゲームに出会う機会が増えたのです。(つまらないゲームに出会うことも多くなりましたが。)
もしかすると、ゲーム人生の中で今が一番ゲームを楽しめているかもしれません。
ゲームに飽きかけている方、もしくは飽きてしまった方、以前は拒んでいたようなゲームにも手を伸ばしてみてください。
ゲーム反抗期を終えたその先に、本当のゲーム人生が待っているのです。
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・・・・・・・・・・
なんなのこの記事???
完