3月28日に配信されたFF15の大型DLC第一弾「エピソードグラディオラス」。グラディオラスにスポットを当てたものの彼の魅力を引き出すわけでもなく、はたまた本編ストーリーについて掘り下げるわけでもなく。
単に別行動の時の様子を描いた可もなく不可もなくのDLCでした。
ただ、プレイして改めて思ったのは
このゲームのストーリーに対するこだわりのなさはスゴイな
ということです。
※今週は編集する時間がないため画像や文章が少し雑になっていますがご了承ください。荒い箇所は後日修正予定ですがタイムリー性を重視して一旦公開します。
Contents
おさらい
まず「エピソードグラディオラス」のざっくりしたストーリーラインをおさらいしましょう。
敵国のレイヴス将軍に惨敗したグラディオラス
王の盾として自分の力不足を実感し修行の旅へ出ることを決意します。
その修行の話がエピソードグラディオラスです。
DLCで感じたストーリーに対するこだわりのなさ
そもそも配信前から終わってるストーリー
このエピソードグラディオラスのすごいところは配信前からストーリー的に終わっているという点です。
あらすじで説明したように敵国のレイヴス将軍にボロ負けして、それが動機となって修行を決意しています。つまり修行の目的はノクトを守る力を得ること。具体的にはレイヴスに負けない力を得ることです。
しかしプレイヤーの皆さんはもう知っているのです。本編にて修行から戻ったグラディオラスが一切強くなっていなかったことを・・・。
レイヴスとの再戦ではポーション漬けにされたあげく最後には蘇生が面倒になって放置されるグラディオラスのことを我々は既に知っているのです。
まぁそれはゲーム的な話しで大げさな表現でしたが、ストーリー的に見ても修行の成果を発揮してレイヴスとの因縁に決着を付けるといった場面はありませんでした。この修行においてどんな死闘を繰り広げて戦士としての成長が描かれたとしても、修行前後で変化がなかったことを我々は知っているのです。
つまり、この修行期間をどのようなエピソードで描こうともプレイヤーの心に響くものは一切ないのです。配信前から終わっているというのはそういう意味です。
精神的な修行にもなっていない
先ほどは肉体的な強さについて書きました。次は精神面について書いていきます。一般的に修行というのは肉体のみならず精神を鍛えることでもあります。
初代王の盾である剣聖ギルガメッシュも王の盾には精神力の強さも必要であると語っています。
でも私たちは知っています。修行の後、ものすごいヒステリーを起こしていた彼を。
失明したイグニスを気遣うべきという彼の意見もごもっとも。しかし国が滅び、父と恋人が死に王としての使命を負ったノクトに対しての気遣いがないどころか叱責する様子は精神的に強いということを通り越して病んでいるレベルです。
この修行においてどんなに精神的に追い詰められ人間として成長したとしても、その後全く成果が出なかったことを我々は知っているのです。
剣と盾 言葉のイメージに対するこだわりのなさ
「剣聖と戦い剣を貰って最終的に王の剣の衣装を着る王の盾グラディオラス。」
何か違和感ありませんか?
グラディオラスは王の盾。彼の使命は王を守ること。ですので、剣(力)を鍛えて敵に勝つことが王を守ることになるということは十分理解できます。キングスグレイヴを見ていたので「王の剣」と「王の盾」の意味も把握しています。
しかし、その役割と言葉の持つイメージはリンクさせるべきです。つまり次のようにすべきでした。
「盾聖と戦い盾を貰って最終的に王の盾の衣装を着る王の盾グラディオラス。」
ここまで一環してイメージの統一をすることで王の盾という役割に箔がつきます。FF15においては、文字や単語、あるいはセリフが持つイメージを重要視していないことがストーリーの破綻に直結しているように思うのです。
ゲームに限らず映画、ドラマ、漫画は限られた時間・コマで最大限の表現をしなければなりません。無駄な描写はあってはならならず、必要な描写だけをしなければならないのです。
全てを叩き潰す最強武器”柱”から見える開発者のエゴ
このDLCではグラディオラスの武器は固定の剣です。しかし道中の柱を引っこ抜いて敵を叩き潰すことができます。これが強すぎるんです。
通常武器のダメージが400なのに対し、柱のダメージは3000。おまけにスーパーアーマー付きというぶっ壊れ性能。
今すぐ帰ってその変の柱ぶっこ抜いてレイヴス殴りに行ってよ。
そう思ってしまうものでした。
少し話しはずれますが、モノづくりにおいて思いついたから入れるというのは単なる開発者のエゴだと思っています。どんなにすごい技術でも役に立たないもの、つまらないものであったら意味がないのです。この柱は思いついたから入れたという典型的な例です。このぶっ壊れ武器のせいで本編やDLCの雰囲気を壊しているのです。
そしてこれは「オーメン」を本編に挿入したことにも当てはまります。あの映像は単なる悪夢を象徴したものであり意味がないものです。
キングスグレイブに携わった会社が製作したインスパイア作品。その映像が素晴らしい出来だったので本編にも入れた。これはプレイヤーにとっては混乱しか招きませんでした。この感覚がFF15開発者のエゴであり、こだわりのないストーリーの根底となっているものです。
剣聖より強いコル将軍
剣聖ギルガメッシュを倒すとエンディングとなります。エンディング後にエクストラバトルとしてコル将軍と戦うことができます。
驚くことにコル将軍は剣聖ギルガメッシュよりも強いのです。
じゃあ何のために剣聖のところまで行ったの?
エンドコンテンツとして強敵を用意するのは良いのです。しかしその相手を考えて出さないと全てが台無しになることをFF15チームは理解していないのです。
本編だけでなく、エンディング直後にこの修行の旅が一切意味のなかったことを改めて突きつけられます。
修行の成果としての肉体的・精神的なレベルアップが本編に直結していないことは冒頭に書きました。しかし、このコル将軍が剣聖より強い点についてはこのDLCを単体のエピソードとして見ても破綻していることを意味しており、いかにこのFF15がこだわりを持たず作られているかがわかるエピソードです。
結局修行していたことをバラすプライドのなさ
グラディオラスといえば電車内でのヒステリーさが問題視されがちですが、私はプライドのなさも問題だと思っています。
「王の盾なのに王の剣の衣装を着てしまった件」についてもそうですが、今回の修行について最初は隠していたにも関わらず結局キャンプで事細かに話しているという点も彼のプライドのなさを象徴しています。
例えるなら、実は英検3級受かる気で必死に勉強してたけど、もし落ちたら恥ずかしいから友人には話さず、でも実際には受かったから後日「めちゃくちゃ勉強して受かった」と自慢している中学3年生な感じです。いや、これはこれで素晴らしい中学生だと思いますが・・・
グラディオの場合は信念のなさを感じてしまうのです。
このエピソードについては「実はあのとき・・・」といった導入はせずに、単なる裏のエピソードとしたほうがグラディオラスの魅力が引き立ったような気がします。
好みの問題かもしれませんが・・・
ストーリーの補完が一切ない
多くのプレイヤーがDLCに期待するのは回収されなかった複線や後日談など、ストーリーを補完するエピソードでしょう。
今回は初代王の盾と言われる剣聖ギルガメッシュが登場します。この設定は描写不足だったストーリーの補完をするチャンスだったはずです。
例えば、”初代”という設定は大昔からこの世界を見てきている特殊な存在であることを意味します。その設定を利用すれば昔のアーデンについて語る機会にもなれたし、古くから存在している指輪の力や魔法障壁など、本編で語られなかったことにスポットを当てることができたかもしれません。それが例え後付けだったとしても散々描写不足と言われたストーリーに少し厚みを持たせるまたとないチャンスだったはずです。
しかし、このDLCで語られたのは本当に単なる修行中の話しのみ。このDLCではストーリーの根幹に触れるものは一切なく「初代王の盾 剣聖ギルガメッシュに勝って剣もらった。」ことだけが語られます。
このDLCをプレイして、やはりこのFF15は描写不足ではなく何も考えていないということを確信しました。
個々のエピソードでは仲間との絆を演出できない
FF15のテーマの1つに”友情”というものがあります。
本編では苦悩し奮闘するノクトを仲間全員で支えていくことで友情を表現できていたと思います。
それならばグラディオラスの苦悩も、仲間達と共に解決していくエピソードにすることでこの友情というテーマをもう一段階クオリティの高いものに引き上げることができたように思えます。
FF9のジタンは困っている人を放ってはおけず、ビビやガーネットを常に助ける側でした。しかし、最後にはジタン自身がピンチになっているところを今度は仲間達が助けるという流れで双方向の絆を演出しました。
それをやれば良かったのです。
ただし、ここまではあくまで私の願望。ここで言いたいのはもう少しDLCに意味を持たせることができなかったのかという点です。
長い話になるぜ→
DLCの冒頭。メンバーにこの期間の出来事を話すグラディオラス。
グ「長い話になるぜ」
しかし実際はこうです。
(スマホゲーでスタミナ消化しながらプレイしていたので実際は1時間ちょっとです。)
もちろんこれはプレイヤーが体験した時間であってゲーム内では数日経過しているでしょう。しかしあまりに短く苦労のない道中だったため、長く話すほどの内容はなかったと思ってしまうのです。
こんな内容の薄い修行をどうやって長く話したのでしょうか。
あったこと、思ったことをただひたすら語って長い話しに仕立て上げたのでしょうか。
こんな風に。
「まず最初にコル将軍に電話でアポをとったんだその時地面にいたてんとう虫の点がなくてかわいかったなぁそれから現地へ向かう途中寒かったけど我慢して普段着で行ってちょっと後悔したでも小学校の頃冬でも半そで半ズボンで元気でしたで賞もらった時の感動が忘れられないから今でも半そでだけはやめられないんだよあははそれから洞窟が見えた時まじ興奮してついにここまできたかという感じで泣きそうになったけど泣いたら将軍に軽蔑されそうだから我慢したんだけど実はちょっとだけちびってたそういえば1週間前寝て起き・・・」
こうでも語らない限り長くはならない内容です。
DLCをクリアした人が真っ先に感じるのは短いということ。だからフィクションにおいて何でもないこのセリフに違和感を感じてしまうのです。
「長くなるぞ」ではなく、例えば「あれは強敵だったぜ・・・」くらいのセリフにしておけばこの違和感は消せたと思うのです。何度も言いますが限られた描写しかできないのがゲームの世界なのだから、セリフにおいては一字一句こだわってほしいのです。
終わりに
本編を面白いと感じた人、つまらないと感じた人。以前は同じ舞台で意見を交わしていたと思いますが、今となってはその舞台に残っているのは面白いと感じた人、つまりファンだけだと思います。
私は面白くないと思った側の人間ですが、そのように感じた作品がどう変わったのかが気になってDLCをプレイしました。しかし結果的には本編と同じくこだわりのないストーリー性を踏襲していました。
ストーリー中心にスポットを当てたためこのような記事になりましたが、1つのDLCとして見た場合は可もなく不可もなくの50点くらいだと思います。
540円という安さなのでクリアまでの時間やストーリーのチープさも「そんなものか」と割り切れる値段設定です。ですので買って損をしたとも思っていませんし、得をしたとも思っていません。そんなDLCでした。